2024年が始まった。

 

2018年から続けている週に一度書いているブログも7つ目に突入した。

 

2023年のことは2023年の日記に残してきたので、

早速やってきた第一火曜日は1月1日と1月2日の記録を残すことにする。

 

2024年が始まってまだ48時間も経っていないけれど、

ここまでですでに激動で濃密だ。

長い長い2日間だった。

 

23年の大晦日の夜、思うようにことが進まず、日を跨ぐ直前に奈良のホテルに到着した。

毎年巫女の仕事もあったし、自分の体力上、年越の時間帯に目を覚ましていることは稀だ。

今年は「ゆく年くる年」のテレビをつけて、静かに2024年の幕開けを迎えた。

 

31日までのプランだと、早起きして大神神社に行くという計画だったけれど、

晦日の予定がずれ込んでしまったので、それは不催行になった。

 

行き先を春日大社に変更して、集合時間は5時半と決めて眠りについた。

 

元旦、その時間に起きたものの、またも予定は変更で

早朝の出発は取りやめに。

朝ご飯を7時半から食べることに予定再変更。

 

結果的に、そこから15時30分までは出発をしなかった。

 

その間に、本当にいろいろと感じるものがあった。

 

いろんなことがうまく進まないのは覚悟していたし

わかっているつもりだった。

 

ただ、わたしはいつもちゃっちゃか計画通りに動きたいし

なにしろ元日。午前のうちにはお参りを済ませてすっきりとした気持ちになりたかったのが本心。

 

本当は大神さんの松明を見て、火の温度を感じ取りたかった。

暗闇の中で明るい火を見たかった。

パチパチの火の粉を上げる音を聞きたかった。

 

せめて初日の出前の春日大社で、朝陽を感じながら初詣をしたかった。

 

その計画が頭の中にあったわたしにとっては

受け入れ難い予定変更だった。

 

これが元日でなければ、もう少し辛抱できたかもしれない。

 

目処がたてば、全員揃わず出かけることもできたけれど

それさえもうまく進まないから、できることは

ホテルに篭るか、徒歩圏内で散策をするかの2択だった。

 

その間にどんどん時は進み、

彼の態度も如何なるものかと感じることもあり、

同時にわたし自身の小ささにも腹立たしさを覚えた。

 

30日からの疲れ、

というより年末からの疲れが募りに募って、感情大爆発。

新年早々、滅多にしない喧嘩というものをしてしまった。

喧嘩、というよりはわたしの一方的な説教のようなもの。

 

今年の始まりの日はとっても縁起の良い日で、

こんなふうに過ごしてはいけないなって一番わかっていたのに。

それが余計に悔しさを増大させた。

 

ここへきて、主人が初めてわたしの前で泣いた。

 

その時はすごくいやな気持ちで満たされてしまっていたけれど

結果的に、この時の感情のぶつけ合いは

意味のあるものになるし(そうしていきたい!)

お互い気がつくことも多くあった。

 

まだまだ時間は進まないし、動きもないし、

すでに限界を迎えたわたしは、散歩に行くことを提案した。

 

遠くまでは出かけられないから、限られた範囲だけど

ホテルに篭るよりはずっと良い時間を過ごせたはずだ。

 

今年の初詣は法華寺

お寺で過ごすことで、さっきまでの感情もすっかり鎮火され

平穏がいかに大事なことか、仏様のお顔を見ることで思い出すことができた。

 

お香の香りとともに

自分のルーツを思い出す。

 

2022年の日記にもいろいろと残したけれど

この年に、わたしは寺の孫だというアイデンティティを強く実感した。

 

大学や高校のホームステイ、小さい頃の英語の先生の影響でキリスト教も身近、

神社でのお仕事もかれこれ7、8年ほど続けて神道にとても共感していた2022年半ばまでのわたし。

 

でも、その後にいろんなことに気がついて

自分の中で開花する考え方、たどり着いた帰るべき場所、思想みたいなものを見つけたんだった。

 

どの宗教を信じてます、という信仰心はないものの

行き着く帰着点は、お寺の存在かもしれない。

そんなぼわっとした宗教感を持つ今のわたしには、2024年の年初め

感情的になった後にお寺に訪れたことに大きな意味を見出すことができた。

 

「慈」「光」こういう感じが目に入ってきて

その文字を見るだけでも、心が解きほぐされた。

この漢字を意味まで読み取れる日本人に生まれてよかった。

 

ここまででも長いなあ・・・。

 

その後には、夕方なんとか家族みんなで動き出すことができて

春日大社に参拝をした。

この辺りの細かいことはインスタグラムに日記を残している。

 

夜は、JWマリオットでお茶とディナーをいただく。

雰囲気も建築もクールでとても良い時間。

思い出深いトラブルも発生し、みんなで和やかな雰囲気になれた。よかった。

 

翌朝に家族みんなで春日大社にもう一度参拝した。

 

急に、今

眠気に襲われてもう細かいことが書けなくなってきている。

前半に詳細を書きすぎた。

 

 

年の最初に日記の最後にさっき気づいたことをひとつだけ。

 

わたしは「やりたいこと」を思いついたあと

すぐに「やらなきゃいけないこと」に変換して、リストに入れていることに気がついた。

 

具体的にいうと

4日からイギリスに行くから主人が楽に過ごせるように作り置きのおかずを作りたいなと思いついた瞬間に

「作らなきゃ」「献立考えなきゃ」「買い物行かなきゃ」「何時に作り始めなきゃ」

すぐにそんな思考のスイッチが入った。

最初の瞬間は確かに「したいな〜」だったのに。数秒で「しなきゃ」に無意識でチャンネル変更。

 

「しなきゃ」に追われていることに自覚はあったけど

実は「したい」ことだったのに気がついたのは初めてだった。

ここまで自分を追い詰めてきた大きなことに気がついた。

 

これに気がついた瞬間に

「作りおきのおかず作りたいな〜」に変換をした。

すると、わくわくして、重荷が軽くなった。

 

。。。

 

めちゃめちゃ大事なことに気がついたと思う、わたし。

これ、もしかして2023年まで苦しんでいた大半のことをゆるめてくれるかもしれない。

世紀の大発見!

 

「やらなきゃ」を「やりたい」に変換する

頭の中でこれをするだけで、もしかしたら今年はとっても楽しく、気楽に過ごせるかもしれない。

 

良いことにきがついた・・・いいヒントになりそうだ。

 

 

 

混雑の新大阪駅を抜けて、

安心の自宅に帰還した。

 

出来合いのお寿司と簡単に用意した汁物で

お気楽ひとり正月。

 

もうすでに今年をひと月くらい過ごした感覚でいる。

 

でもまだ2日も終わっていないところだ、

 

なんだか得をしている気がする。

 

今年は色々なことに気がつけそうだし、

気づくだけじゃなく、実践していけそうな気がする。

 

 

しょっぱな長い日記になってしまったけれど

昨日と今日の気づきが、一生の中でもとても大事なものになってきそうな気がする。

 

 

 

 

地球をお借りして、生かされている

spread loveという使命を自分なりにどう果たしていけるか。

謙虚、感謝を忘れず

 

龍の神様の激しい動きを感じ取りつつ

自分にはどんな祈りができるのか。どんな行動ができるのか。

 

 

きっと激動の年。

 

地震に、飛行機の炎上。

人のできることって限られている。

 

それでも、どうにか平和に、穏やかに

過ごしていけますように、

 

みんなで気づいて、築いていけますように。

 

心静かに穏やかに、でも時にダイナミックに!

 

 

 

 

今年もよろしくお願いします。

 

 

(新春スピリチュアルスペシャルみたいな日記になってしまった。)